福岡県福津市にある浄土真宗本願寺派 西光山 寶蓮寺
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浄土真宗本願寺派 西光山 寶蓮寺 〒811-3522 福岡県福津市奴山806 TEL:0940-52-0667

住職のひとり言/福岡 寺院 浄土真宗本願寺派
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報恩講とは
報恩講とは、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人(1173年〜1263年)のご遺徳を偲ぶとともに、阿弥陀さまのご恩に報謝し営まれる法要のことです。

京都・本願寺ではご命日である1月16日(新暦)に営まれます。

聖人は、自分の努力ではどうすることもできない老・病・死の苦しみと向き合い、その苦しみを超えてゆく道をお示しくださいました。

それは阿弥陀如来の願いを信じてお念仏を申し、仏となる道でした。

報恩講は、その聖人のご遺徳を偲ぶとともに、いま私がお念仏のみ教えに出遇えたことを感謝させていただく大切な法要です。

我輩は、ニャジラである。第三話
 我が輩はニャジラである。寶蓮寺にきて13年そろそろ浄土へと旅立つ時がきたようである。思えばいろいろとあった13年であった。

京都に生まれ数日で福岡に連れてこられて、右も左もわからぬこの寺で我が輩は育った。当時は小さい子供もいなかったので、皆我が輩をかわいがってくれた。あのころはよくネズミなども追いかけていたことを昨日のことのように覚えている。

この寺では、現住職の学校退職、住職の交代【15世ー16世】、若院の結婚、3人の子供の出産、若院の退職、前住職の往生、などいろいろ大きな出来事があった13年間であった。

日本の社会も環境問題・福祉問題・犯罪の若年化凶悪化・政党政治の崩壊・携帯電話、パソコンの急激な増加とほのぼのとしたムードを持つものが、一つ一つなくなってしまった。

物が増え何でも作れる世の中になったが、工場の増加による公害が人々を脅かし、機械化が進み便利になったが、その一方で人間が機械のために働くといった現実がでてきた。

交通機関も充実してきたが、交通戦争による事故の増加、人の命が車や他の乗り物によって奪われる事になってしまった。また世の中のあらゆるところで機構が整備され組織化が進んだが、人が人を管理する世の中になり人間関係が希薄になってきたことも大きな問題をはらんでいるといえよう。

これらの問題は、現在の科学によっては何一つ解決されないであろう。若者はこのような矛盾や納得のいかない社会構造に不安や不信をつのらせて、現在の自分という存在を見つけるために「心さがし」をしている。

その「心さがし」がある時は犯罪という形になったり、新興宗教の発達を押し進めたり、学校教育の危機的状況を生み出したり、人々はすでに経済や科学の発達が人の心を狂わせていることに気がついており、地位や名誉、お金や物質が本当の幸せを招くものではないと認識してきている。

いま求められているものは心の真実なるやすらぎであろう。
21世紀まで1ヶ月ちょっとに迫ってきたが、21世紀は『宗教の時代』といわれたかたがおられたが、宗教の時代といわれる状況が21世紀にどのような形ででてくるのか、期待と不安が交錯しているが、我が輩が過ごした浄土真宗の教えの中に「地獄の生活をしていながら浄土へと旅立つ生活ができる」ということがいわれている。

まさに現在の世の中地獄模様を呈してきている。その中で確かなものと出会い、揺るぐことのない本物に出会う道が用意されていて本当の幸せが見えてくると聞かされ、我が輩も安心してこの世と別れを告げる心構えというものができたのである。


まあ、人間社会は疲れるところであったが、一喜一憂しながら、毎日おいしい缶詰をたらふくいただいた今生であった。

我輩は、ニャジラである。第二話
 我輩はニャジラである。最近は我輩も年のせいか、しものほうが緩んできて宝蓮寺の人間からよく怒られる。年がいくと仕方ないものなのである。

人間も長生きすれば皆最後はそうなるのである。我輩のような年寄りを大切にしないものは自分が年寄りになって粗末に扱われる人間なのである。

さて、最近の人間はどうも様子がおかしい。我輩の友人の脳細胞の学者の言い分によると、人類というものは、長い歴史の中で集団生活によって今日の発達を遂げたといえる。しかしながら現在はどうであろうか。

戦後の復興に伴い「核家族」化が進み、さらには同じ家に住みながら生活リズムの違う「個族」と呼ばれる家族関係にまで発展している。

子供たちの発育においてもだんだんと低年齢化した教育を受けさせた方がいいとして、2歳3歳から英語を習わしたり、あるいは胎児のときからクラシック音楽を聞かせたほうがいいということさえ科学的にも研究が進んできた。

しかし、その研究を進めてきた本人が「人間の発達にもっとも影響があるものは、集団で生活しているか否か。」ということを唱え始めたらしい。つまり、おじいちゃんおばあちゃんといっしょに生活するか否かによって、発達が変わってくると断言しているということだ。

先進の科学者が最後に唱えたのは原始的なごくあたりまえの生活様式であったということに注目することができる。

しかしながら、ここまで進んだ核家族化をすぐに解消することはできないとなると、人類の発達はここまでか!ということになりそうであるが、ちょっと待て!とあえて異義を申し立てると、集団で生活できない中でもまだ方策があるはずである。

それがお念仏の生活である。

今はもう会えない先祖や家族とともに生活していくことが可能ではなかろうか。たとえ核家族であれ、手を合わせる感謝の生活の中に、人間らしい発育のポイントが隠されていると我輩は考える。

 さて、日本社会では最近サミットなるものが開催されたようだ。使われたお金は800億円、通常のサミットでは多くても10億円くらいしか使われていないそうだが…。日本の国はいったい何者なのであろうか。沖縄開催の意味も良くわからないまま、警備や接待で終わってしまったような…。

まあ我輩は人間ではないから関係ないことだが、これからの日本も心配である。先日、寶蓮寺にきていた講師が言っていたが、今の日本は世界を支配していたイギリスが力を無くしていった時の時代模様に似ているそうだ。

今日は小言が多くなってしもーた。あーぁ我輩も年をとったとつくづく思う今日この頃である。

我輩は、ニャジラである。第一話
 我輩はニャジラである。京都生まれの福岡育ち、人は私のことを「お寺のネコ」と呼ぶ。

前回は我輩のページを勝手に削除され、期待されているご門徒と呼ばれる人間から散々不満のこえが我輩のところに届いていた。若院に頼んで今回はスペースを多めにとってもらった。
 
さて、家の中では「大智」という赤ん坊が主役の座を独り占めしてしまい、我輩の出番はまったくない。出番どころかこの存在というものまで忘れ去られようとしている。まあかろうじて我輩の食事だけは何とか間に合っているという具合である。

この赤ちゃんは、「まあどうしたおじいちゃんに似とんしゃーね」とか「お姉ちゃんに似とんしゃーばい」とか、とにかく父親である若院に似ているとは誰も言わない。

若院もそこのところは慣れていて、法事に行くと「あんたんとこのおじいちゃんは、きれいやったばい」とか「あなたのお父さんは男前やったばい」とか言われつづけているからである。

若院のことは「どうした体格がいいか」または「お父さんには似とんしゃれんね」この二言につきる。慣れないほうが不思議である。

親鸞聖人は顔のことは何も説かれていないので、気にしていないらしい。
 
ところで、人間の世の中はどうなっているのか、最近我輩にはわからなくなってきた。児童虐待法案が可決したり、少年の犯罪が増えてきて、処罰が問い直されだしたり、少し前までは考えられなかったような事件があまりにも多く…というより昔のパターンの犯罪などニュースにも出なくなってきたのかも知れない。

いまどきの子供たちはどういうことを考えているのだろう。たぶんいつの時代にもいまどきの子供たちは存在したはずである。しかし、現在なにが変わってきたのだろうか。

世の中はお金があれば何でもできると豪語しているし、学校では子供たちの叫びがなかなか届かなくなってきたと思える。何でも物は与えられ、我慢することがなくなり、親も勉強とお金さえ与えていれば大丈夫、うちの子に限ってとぬか喜びをし、気が付いたときには子供たちから乗り越えられ、手の打ちようがなくなり、そんな子に育てた覚えはないと責任転換し、すべてが悪循環しているように思われる。

人に迷惑をかけずには生きていかれない人間であるということを忘れ、命を「物」扱いするような風潮が流れている昨今。

世の中で「死語」扱いされている「おかげさま」「もったいない」「ありがたい」などの日本の言葉を今一度、人間が取り戻さねばならないと我輩は考える。

幸い人間社会には「お念仏」の教えが届けられていると聞く。お仏壇に両手を合わせるその後姿にこれらの心は存在する。

先日我輩は広島まで散歩に出かけた。そこには安芸門徒と呼ばれる人間が存在した。彼らの生活の一部を覗いてみたが、毎月16日にはお魚屋さんは休みになるし、食堂でも生ものは出ないらしい。

なぜかというと、16日は親鸞聖人のご命日であるからだ。たくさんの子供たちを見てきたが、仏様の前に立つとすぐに手が合わさり、中には正座して合掌する子供も多くいた。隣にいた若い母親も、手荷物を横におき、合掌。

その親子の動作の自然さに我輩は驚いた。何のためらいもなく、自然にごく自然に手のひらと手のひらが合わさっていた。何にか心が温かくなるのがわかった。人間社会には「お念仏」みおしえが存在している。一人ひとりに届いている。

よもやま話「子供」@
 最近、子育ての難しさをよく感じます。11年間の教員生活が何だったのかと思い返しながら、いろいろと教えていただいたことを、皆さんと共に考えていきたいと思います。

『思うようにはいかない』
 
 私自信、お寺の子で両親は教員しかも長男、期待されないはずはありません。
しかし、ほかの子と何も変わらないのです。友達と遊びたいし漫画の本も読みたい。しかしなかなかできなくて、欲求不満がたまってお寺はいやだ!学校の先生なんてもっといやだと反抗ばかりの子ども時代を送ったことははっきりと覚えています。

しかし、そんな私も責任総代(当時は生家の花田茂四郎さんだったと思いますが)さんのお誘いで、京都の龍谷大学を受験することとなりました。一人暮らしが夢で、それが現実になったときは本当に嬉しかったことを覚えています。

『変われば変わる』
 
 大学に入り、予定通りに遊びをこなしながら、真宗の教えも少しずつ聞いていました。あんまり勉強してない4年間でしたが、私の凍った心を溶かす大切な4年間だったと思います。

いやだった教員の資格も友人たちの勧めで取らせていただき、もっといやだった僧侶の資格までも友人たちの勧めでとることになりました。おまけに、華道部でお花を習い、大学の3年からは池坊華道の専門学校に夜間通うことになりました。親元から離れたいばかりで京都に行きましたが、すべてお寺を継ぐための準備をするために行ったようなものだったのです。

人間の心は環境や出会いによってこれほどまでに変わるものであることを痛感した4年間でした。

『めんどくさいこといやだ』
 
 私はホントにずぼらな人間で、面倒なことはもちろんなかなか動こうとはしません。(それがたたってこんなに太ってしまって…お恥ずかしい)

しかし、中学校の教員は動かなければなりません。中学1年生は元気いっぱいで2年生になるといろいろな変化を見せ、3年生になると受験のことや恋の悩み、欲求不満からトラブルを起こすこともしばしば。

事務的な仕事もたくさんあり、放課後は部活の指導、家庭訪問や会議で分刻みの生活をしていたことを思い出します。

ですから、学校の中で問題行動が起こると予定が狂ってしまって、大切な授業の準備まで遅れることになってしまいます。ややこしいことにならないためには、そうなる前に取り組みをはじめることを自然と身に付けていきました。こんなこともやりました。

中学1年生を受け持つと小学校とは違うのですから、たくさんのことを教えなければなりません。まず掃除です。6つの班に分かれあちこちの掃除区域にクラスのメンバーは行きます。

掃除時間が終わり、帰りの会、ここで私は雑巾を持って教室の床にしゃがみこみます。そして、掃除が終わったばかりというのに、雑巾がけをはじめるのです。そのうちに帰りの会が終わり、ほかのクラスの生徒たちは帰りだします。

そこで一言「みんなごめんな、ちょっと教室が汚れてるからもう少し待っててくれ」そうすると、1人手伝いだし2人3人、あっという間にクラス全員が掃除をはじめます。

あっという間に掃除は終わり、前に立って小言は何も言わずに「さいなら、また明日」次の日からは、教室はぴかぴかに掃除されています。

ほかの掃除区域も、もしきちんとできてなかったら同じようにするのです。そうするといちいち掃除区域の点検などと見回ることなどしなくていいようになりました。こんなこともありました。

子どもたちは元気です。教室のガラスや花瓶を時には割ったりします。親切な子どもがいて、誰かがそんないたずらをするとすぐに報告にきてくれる子どもがいます。そのことがわざとでもわざとでなくても、私の行動は一つです。まず走っていき「大丈夫か?怪我はないか?」そして割れた破片を片付けます。

無理に手伝ったり小言を言ったりしないのがこつです。そして、「形あるものはすべて壊れるからなー、ここにあるほうが悪いよねー」とにこっと言います。

周りの子どもたちは、割った子がてっきり怒られるだろうと思い集まっています。しかし怒られないのです。もうその子はわざと割ったりしなくなるのです。

いまどきの子どもがそれで済むのかなと疑問視される方もあるかと思いますが、子どもたちはいつの時代も「いまどきの子どもは」と言われ続けてきたのだと思います。教員時代の11年間はずっと生徒指導という係りをさせていただいていました。

はじめのうちはそんなこととは露知らず、なめられてたまるかと気合が入っていましたが、子どもを怒ることにもかなりのエネルギーを使います。怒らなくてもいい方法はと考えたのがこのやり方です。

「愛のむち」も賛否両論ありますが、たたかれることに慣れていない子どもたちをむち打っても、なかなか答えが返ってこないのが現実でした。


『カンニング』
 
 やはりいつの時代もカンニングはありました。しかし、子どもの意思でカンニングをする子は一人もいませんでした。誰の意思かと言いますと親の意思です。

親の意思でさせているにもかかわらず、学校に見つかるとかんかんになって子どもを怒られるのです。点数にこだわっている親を持つ子の中からカンニングは始まります。しかし、子どもたちは素直なもので教室に入り問題用紙を配ってみんなの顔を見るとすぐにわかります。

いつもと違う顔をしている子がいるのです。それは『今から悪いことをしなければ…』と顔に書いてあります。ちょうど大人が飲酒運転で警察に止められたときに「はぁーと息を吹きかけてください」と言われたときによそを見ながら『はっ、はっ』とにおわなくてもすでに飲んで運転をしていることがばれるのと同じことなのです。

正直な心が顔に出るわけです。しかし、テストは始まっています。教室を回りながらこそっとカンニングペーパーを取った私はまた教卓の前でニコニコしています。放課後こそっとその子を呼んで話を聞き、「心配せんでいいから」と声をかけます。

家に行ってご両親に穏やかな話をするとその子も怒られることなく、また前の笑顔に戻ります。二度とカンニングはしないはずです。

面倒なことはいやですよねー。      

よもやま話「写真」
 子どもを育てるときに、「小さいころの写真を家の中に貼っておくとその子はすくすくと素直に育つ」ということを2度ほど聞いたことがあります。

なぜそうなるのかと考えたとき、写真が語りかけるものは何でしょうか?親の愛情というものを写真という一つの物を通して子どもたちは知らず知らずのうちに受け止めるのでしょう。

親鸞聖人はこの世を「無明」(明るさがない)とあらわされました。私たちは太陽の光や電気のおかげでこの世は明るいと考えています。しかし、残念ながら人間の目に見えるものすべて崩れてしまうあてにならないものしか見えない目を無明と表現されました。

壊れないものはこの目には映らないのです。この写真という物がその目にみることのできない働きを子どもたちに届けていてくれるのだと思います。

阿弥陀様は残念ながら私たちの目にみることができません。しかし私たちはこの目に映らないとそこにそれがあることが信じられないために、方便の形として、本堂やお仏壇にご安置している形に表してあります。

目にみることのできない阿弥陀様の働きは壊れることはありません。いつでもどこにいても「我に任せよ。必ず救う」とお誓いくださり、無条件で私たちを浄土の仏と迎えてくださいます。

子どもたちには親の愛情が必要であり、私たち大人にも親の愛情が育てられていく上で必要不可欠なものであります。

昨年の報恩講で山内先生が皆様方に「もし透明人間になれるとしたら、何をしてみたいですか?」とお聞きになりました。そして「透明人間になったときにしたいと思うことがあなたの本性ですよ」とわたしたちの虚偽性をお示しくださいました。

透明人間になれるとしたら・・・考え出すことは、とても人には言えないようなことか犯罪になり処罰を受けなければならないようなことをいとも簡単に思いつくのではないでしょうか。

そのような煩悩を持った私たちであります。一人前の姿はしておりますが、中身はまだまだお育てをいただかないと何をしでかすかわかりません。

阿弥陀さまは見返りを期待しない愛情で私たちをお育てくださいます。
 
子どもたちのそばに写真を置くことと同様、私たちのそばにはお仏壇がぜひともほしいものですね。

なまんだぶ、なまんだぶ。

よもやま話「100万人の親」
 先日私の親戚の中で最長老の方が浄土へ還られました。一九〇三年生まれの九十九才でした。

ライト兄弟がテスト飛行をされていたころに生まれられました。百歳まであと少しでしたが、残念なことでありました。ともに生活をされてきた家族の方々の落胆されたこと、また、これまでのご苦労を考えずにはいられませんでした。

ご存知のように、我が家にも九十歳の前々坊守がいます。一九歳で宮司の真光寺より第十五世住職釈真龍の妻としてとついで七一年です。

激動の昭和を乗り越え今日の寶蓮寺の基礎を祖父と作ってきてくれましたことは、本当に感謝しています。

戦後の話など聞きますと混沌とした時代に加え、子沢山(六人)、食料の不足など涙を流しながら話してくれました。しかしそんな祖母も最近は物忘れがちょっと上手になってきました。

長生きはするもんじゃないと言ってみたり、こればっかりは命がなくなるまでどうしようもないと言ってみたり、しかしながら「老」「病」「死」を自らの生き様をとおして私たち家族に見せてくれています。

さまざまな社会事情から各家族化が進み、老・病・死を身近で感じなくなってきた昨今、命の尊さがややもすると軽く勘違いされることもしばしばではないでしょうか。

私で寶蓮寺も十七代を数えます。私の親は二人、その二人にはそれぞれ二人づつの親がいて、その四人の祖父にはそれぞれ二人づつの親、こうやって八人が十六人、三十二人、六十四人、百二十八人と増えていき、十七代さかのぼると、十三万千七十二人の親がいたわけです。

一八代目で二十六万、一九代目で五十二万、二十代目で百万人を超える親が私の命の源として、確実におられるわけです。

その中の一人でもおられなかったら、私という命は間違いなく誕生していなかったことでしょう。まあしかしながら、生命を持つ人間の自然の摂理と言われればまあそのとおりですが、私たちはこの身体を伝えていただいたということに加え、お念仏のみ教えを伝えていただいたことは、並大抵のことではなかろうと思います。

お恥ずかしい話ですが大学を卒業した後も、家を継ぐことなど絶対にいやだと思っていましたが、小さいころから育ったこのお寺を守っていかねばならないといつのころからか思うようになりました。それは、私の意識とは違うところで多くの働きかけがあったからに違いありません。

それは私の先祖であったり、家族であったり、また、この寺を護持してこられた御門徒の皆様の働きで合ったことでしょう。

このどうしようもない私が、まがりなりにも住職として今日を迎えているということは不思議な有る事が難いことであると思います。

親の願い、私たち凡夫にはなかなか聞こえてこないことでしょう。昨年父が亡くなり、四十九日の法事のとき、互い寺である宗像の宗念寺のご住職からこんなお話を聞かせていただきました。

「こちらのご住職が以前自分には夢があるとおっしゃっていました。それは二人の息子と三人で道を歩きたいということでした。」このことを聞かせていただいたとき、心配ばかりかけていた私と弟が、お念仏の道を歩くようになってほしいということだったなぁーと思いました。

今日、私はこの寶蓮寺の住職、弟は東郷の西教寺の住職となることができたのは父の願いが私たちにかけられていたこと以外に考えられないことであります。

親鸞聖人はこのことを還相回向の働きとおっしゃったのだと思います。浄土へ還ったものはすぐさま菩薩となって残ったいとしいものの心の中に戻ってくる。

私の心に父また祖父がもどってきて働きかけていてくれるのだと今は確信をもって皆さんにご報告させていただきます。

しかしながら、今でも、衣を脱ぐともうお念仏することを忘れてしまう私です。毎日ご門徒の皆様と接し、ご縁をいただかねば何をしでかすかわからない私がここにいるのです。

お参りに行くと、家族と別れられた若い方々が、「やっと仏壇に手を合わせるようになりました。」と聞かせていただきます。本当に尊いことで、ご縁をいただいているのはまぎれもないこの私だったと気付かされることであります。
 

今回はちょっと親族の葬儀のご縁から、何か堅い話になりましたが、書いてしまったものはもう消せないので(二十五日発行に間に合わせたいので…)次回からは楽しいことも話題に取り入れながらよもやま話をすすめていきたいと思います。

つれずれなるままに書いておりますので、それは違うとお叱りを受けるようなことを人の痛みもわからないままに書いていることがあるかも知れません。

そのときはどうぞお叱りの言葉をいただきますようお願いいたします。また、こんなことあんなことが知りたいというご意見もどしどしお寄せください。

・縦書きのご意見をお寄せいただいた
 友納さん、いかがでしたか?

・今回は子育て論がなくてすみません。
 米倉さん、励ましのご意見ありがとうございました。

・「先生、私のところにも送ってくださいと言ってくれた教え子の旧姓堀田ちゃん、届きましたか?

・小泉さん、お手紙ありがとうござい ます。寺報の感想をはじめていただいたこと忘れません。
今回はご心配をおかけしまして済みませんでした。

・広島の清家さん、息子さんは元気に相撲頑張られてますか?
いつも寺報をカバンにお持ちいただいているということ、感謝です。


よもやま話「必ず守る」
 さて、現代の子どもたちは三つの「間」が不足していると言われている。「時間」「空間」「仲間」この三つの「間」である。

学校でもゆとりのない生活に追われ、習い事がはやり、遊ぶ時間と仲間が極端に減っている。遊びの中から、協調性・忍耐力・社会性・自主性・公共性などを身に付けていくものであると思うが、遊びのない子どもたちはえたいの知れない欲求不満に心を削り、自分の存在がいったい何なのかわからずに震えている。

爆発すれば、「最近の子どもは…」とあつかわれ、自分の命の尊ささえわからない。母親からは「早く早く」「頑張れ頑張れ」と追い立てられる。

「早く」ということは、自分が今やっていることを急がせて次のことへとすすませる。つまり子どもが今持っている時間を奪うと言われている。

更に「頑張れ」ということは、「今のあなたではダメですよ」とその子どもの持っている空間を否定していると聞かされる。

子どもは行き場がなく父親のところへ逃げてきて話し掛けるが、父親の一番よく言うせりふは「それはお母さんに聞きなさい」という言葉だそうだ。

私自信思い当たるところが多く反省させられた。それでは父親母親のいう言葉は、どんなことが必要なのだろうか。

二才の息子はウルトラマンと仮面ライダーのファンである。ぬいぐるみを着た怪獣や悪役が出てくるとテレビの前で一緒に戦うのである。しかし最近は正義の味方が勝つばかりでなく、やられるシーンが多い。

息子は「やられた-」と横たわる。そこへ行き「大ちゃん、どんな怪獣がきてもおとうちゃんが守ってあげるから心配せんでいいよ」と声をかける。

日ごろ私のところにはあんまり抱っこやおんぶを求めてこない彼が、「おとうちゃん、抱っこー」と救いを求めてくる。そして私の胸に顔をうずめて安心しきった顔をするのである。

父親が子どもに言う言葉は「どんなことがあっても、たとえ世界中のみんなが敵に回ったとしても、お父さんはお前を守る」ということではないだろうか。

更に、母親は「あなたがもし犯罪者になったとしても、お母さんはあなたのことが大好きよ」ということではないだろうか。そこから子どもたちは親の言うことを素直に聞くことができる心と言うものを受け継いでいくものだと思う。

しつけや教育もその安心感・信頼感の中からはじめて意味を持つものになっていくと感じている。

よもやま話「嘆き」
 よく、最近はお寺のお参りが少なくなったと言うことを耳にする。とらわれの心を捨てることが仏教の根本なのに、お参りが少ないと嘆くことはおかしいが、やはり住職とすれば自分の点数をつけられているようで気になることは否めない。

その原因はどこにあるのか、ここ数年、教団内でも数々の論議がなされてきている。しかし、特効薬はない。親鸞聖人ご誕生から約8百年をかけて構築されてきた浄土真宗のありようは、すぐに変わるはずもない。

しかし、一方では近年新しく出てきた新興宗教は、若い人で満席状態である。若者が求めている「よりどころ」となっていない既成仏教教団が存在することは事実である。

ある程度の年齢になると、人は自分の体の衰えを知り、欲望が抑えられてくると反比例して宗教心が目覚めてくる。しかしそれは、自分の死後がどうなるのかというう点に絞られているのではないだろうか。つまり、死後往生を説く既成仏教へ感心が高まるということであろう。

死後往生の話を聞くところがお寺なら、今を生きる若者にとって、当然ながら用事はないだろう。少しずつできることからしかはじめられないが、今を生きる私たち人間にとって、浄土真宗の御教えが、現代社会にどうかかわっていくのか。

「信心の社会性」というものが問われている。

前御門主さまが「形だけの僧侶、名ばかりの門徒」になっていませんか?と問いかけられた。

長い長い歴史を経て、今私たちはお釈迦様や親鸞聖人が命をかけて残して頂いた仏法に出会っている。私たちの先祖の皆様がどのような念仏生活を営まれてきたか。今一度考えていく必要があるはずである。

戦後、目覚しい社会の発展に伴い、私たちの生活にゆとりが出てきて、お金や物質が優先させられる世の中になってきたがゆえに、どうもおかしな事件や犯罪が横行する社会になってきたと思えて仕方ない。

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